松田の「これ知っとるか?」


第4回:
長谷川和彦監督作品「太陽を盗んだ男」の巻

2000.12


お久しぶりの更新です。すっかり寒い季節になってしまいました。いよいよ世紀末なのですね。ジタバッタしなくても世紀末は来たですね(笑)。みなさんいかがお過ごしでしょうか。今回の「これ知っとるか?」は少々趣向を変えて、懐かしい映画の話題で参ります。


「太陽を盗んだ男」というのは1979年の日本映画です。決して映画をたくさん見る方では無い私ですが、「一番好きな映画って何?」という話になると、迷わずこれを挙げるのだ。しかし「ああ、沢田研二が出てたあれでしょ」という反応があるのはまだ良い方で、大抵の人はこの映画の事を知らないようなのです。まったく、けしからんですな。見た事がある人にはわかっていただけると思うのですが、これはもう本当に面白い映画です。ストーリーをざっと説明すると、とある中学校の理科教師(沢田研二)がまるで暇をつぶすかのような感覚でもって東海村からプルトニウムを盗み、それを元に原爆を作ってしまう(!)という話なのだけども、作ってはみたもののこれで一体何をしたかったのか自分でもわからなくなってしまって、とりあえず今テレビでやってるナイター中継を最後まで放映してよ、と政府に(笑)要求してみるのだ。「いっつもいいとこで終わっちゃうじゃない?アッタマきちゃうのよねえ。これ最後まで、見・せ・て!」とか言うわけです(笑)。で、プルトニウムの窃盗を公にはひた隠しにしている政府としては、これに危機感を感じて本当に最後までナイターを中継させてしまうんですが(笑)、この場面はもう本当に最高です。で次なる要求が更にケッサクで、ローリング・ストーンズを来日させろ、というのですよ。今となってはもう3回も実現しているストーンズの来日公演ですが、当時としてはあの直前の公演中止事件の記憶がまだ生々しく残っていた時期であって、このあたりはもう何ともはやという感じでして、果してこれが原爆に見合う要求なのかどうかはともかく(笑)、妙にリアリティのある夢のような要求だったわけです。で、おとり捜査の手段としてはこれ以上の機会は無いぞ、というわけで政府主催という粋な計らいで一応はこの要求に応えるのだが...、あとは観てのお楽しみということで、極力結末は明かしませんけれども、とにかくスケールが大きくて唸ってしまう展開なのだ。

しかし、なぜ今ここで「太陽を盗んだ男」なのか(笑)。いったいこの映画のどこが私をこんなにもわくわくさせてしまうのだろうか?と、ふと思い当たるのは、当時、というのは80年前後の話ですが、妙に未来を意識し始めたのがこの時期だったのではないだろうか、なんて思うのだ。今よりももっと、これから「新世紀」が始まるぞ、といったような風潮が強かった感じがするのです。これはごく個人的な感覚かもしれないけれど、それにしても当時はなんとなく今よりも漠然とした未来観みたいなものがあって、なんだか盛り上がっていたような気がするのですね。まあ当時の私の年齢とかも充分に影響しているような、ほんとにごく主観的な印象によるものかもしれないですけど、しかしその頃というのはある種、まだ見えぬ新世紀の到来を煽るような風潮があったのは確かだと私は思うのです。なんていうか「時代」という言葉がキーワードになっていたような印象があって、例えば「自宅でパーマをかける時代...」とかありましたでしょ(笑)。「遅れてるぅ」とか、「時代はパーシャル」というのはもうちょっと後でしたが、たしかにそんなような時代であった。あ、「リズムの時代」なんて歌もありますけども(笑)、ウェルカム・フューチャーな感覚が確かにそれらにはあった。そしてそこには、どこか手応えのある自由、みたいな感覚があって、今では懐かしいというよりかは、むしろ眩しい感じがするわけです。というのはそれらが、ある意味で何らかに対する反動であったかもしれないにしても、決してネガティブなものではなかったと思うのですね。そんな中で、沢田研二扮する主人公は、結局お金に困って政府に5億円を要求する羽目になってしまって、しかし原爆はちゃんと取り戻すのだけども(笑)、それでもやはり取り返しがつかなくなってしまうのだ。終盤、「この街はもうとっくに死んでいる。みんな死んでしまえばいいんだ」という主人公の投げやりなセリフがあるのだが、この場面が前半のコミカルなトーンとは対照的に痛々しい。元々はこんな事になるつもりなんてなかったのかもしれないけれど、でもね、それこそ原爆を作るなんていうのは、疑う事無くどこかマジなところがなくては絶対に出来ないんだよ。そのあたりがきちんと描かれているのが、素敵だ。どちらかといえばこれは、反政府とか犯罪についてがテーマなのではなく、カジュアルな青年後期の男が巻き起こす皮肉なファンタジーの映画である、という見方の方が正しいかもしれない。だから、何かの悪い冗談としか思えない強引な展開も少なくないのだけど、その痛快さ加減がなんともおかしくて笑ってしまえるのだ。この軽妙なノリが、気持ち悪くもジャストな気分であって、不思議な気分にさせられてしまうのですね。ある意味で鋭く今を予見してるとも思える場面もいくつかあるような気がする。時代背景的に古さを感じさせる部分は否めないものの(インベーダーゲームとかスーパーマンとかラジオ番組のディスクジョッキーの芸風とか長嶋茂雄の背番号が90番だったりとか等など、懐かしいディティールが満載なのだ)、ここで描かれている感覚というのが非常に今日的というか、今でもあまり違和感が無いのような気がするのですが、では果して今見ても笑えるのだろうか、なんて思ったりもするのだ。

この映画、初めて私が見たのは小学生の時だったのだけど、その後名画座(というのもすっかりなくなってしまいましたねえ)でかかっているのを知ると、私は何回も足を運んだものでして、最後に見たのは8年くらい前、今はなき池袋の文芸座で見たんだったか。熱心なファンの人もおられるようで、わりといつも場内は満員で、終映後に客席から拍手が起こった事もあったのだけど、あれは忘れない。そういう映画なのだ。なわけで、私もしばらく見ていないのだけど、今観たらどんな感じがするだろう?なんてふとこんな時期に思い出してしまったのだった。ちなみにビデオは長らく絶版になっていて、現在はほとんど入手不可能な状態です。古くからやってるレンタルビデオ屋を探せば、もしかしたら置いてあるのかもしれないですね。中古盤とかで見つけられた方は、それほど高い金額でなければ迷わず購入される事をおすすめします。何だったら私が買い取っても良いですよ(笑)。レーザーディスクでは入手可能という話なのですが、あいにくプレイヤーを持って無いしな。

...なんて思っていたら、池袋の文芸座が先頃、リニューアル・オープンした模様で、「戦後日本映画 86作品一挙公開」なんて企画が早速にも始まっているようです、で、おっと!やっぱりこの映画もやるですよ。年明け早々の1月23日(火)一日限り、同監督作品「青春の殺人者」との2本立てだ。ワオ!これはタイムリーというかなんというか、見に行きたいぞ。

ちなみにこの映画はかなりの製作費がかかっていたのだそうですが(そりゃそうだろうなあ)、興行的には大失敗に終わって、相当な赤字を残したという話を聞いた事があります。長谷川和彦はこれ以降、実に20年以上も映画を撮っていないのだ。勿体無いというか、なんというか。大袈裟に言ってしまうと、この時点で日本映画の行く末が見えてしまったような気がしてしまうのは私だけだろうか。しかしこの人は今、いったい何をやってるのだろう。あと1本だけでも良いので撮って欲しいと思うのだが。



では、また。


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(蛇足)









この映画については、とにかく言いたい事がたくさんあるのですが、まず触れるべきなのが、これだ。

いわずもがな、私が敬愛して止まないルースターズのファースト・アルバムです。これのオリジナル・アナログ盤を持っている人はチェックしてみて欲しい。ライナーについていたメンバーのプロフィールといえば、困った事に井上富雄さんの「特攻服」ばかりに目を奪われがちなのですが(すみません:笑)、イエーイ、花田さん!「好きな東映映画」という妙な質問があって、この映画を挙げておられます。なんていうか、うーむ、流石だ。細かい事を言えば、この映画は確か東宝系の配給だったような気がするのですが、そんな事には(そんな事には♪)、構っちゃいねえ(構っちゃいねえ♪)、ってことですよ(って、ほんとにすみません)。ついでにもうひとつ、私が好きなバンドでフリーダム・スイートという人達がいるのですが、そこのリーダーである山下氏もこの映画に入れ込んでおられるという話を聞いた事があります。うーむ、流石だ。





井上尭之、星勝による「太陽を盗んだ男」オリジナル・サウンドトラック盤。

ちなみにこのアルバムはCD化されておりません。まあ、よっぽどのマニア向けではあるかもしれませんが、映画で使われた沢田研二のセリフが入っていたりします。この映画を好きでない人には面白くも何とも無いレコードかもしれませんが、実はこの音楽が映画の魅力を高めている要因の一つだと思う。最近になってファンタスティック・エクスプロージョンというユニットのアルバムでこのレコードからサンプリングされているのを発見した時は、やはり唸ってしまった。うーむ、流石だ
。尚、このサントラ盤には収録されておりませんが、映画の中で原爆が完成する時のBGMがボブ・マーリーの"Get Up,Stand Up"だったりするのだが、なかなかニクいですね。





尚、この映画は当時、キネマ旬報79年度年間ベスト作品として2位にランクされていました。ちなみに1位だったのは今村昌平の「復讐するは我にあり」だったかな。他、当時の「日本アカデミー賞」でも各部門でノミネートされてはいたのだが、結局受賞したのは助演男優賞の菅原文太だけだったような記憶があります。まあこれは、それこそ蛇足なんですけど。